コンテッサクラブってどんなクラブ

Introduction of Hino Contessa Club

何故クラブが生まれたか?

 吾がコンテッサクラブの誕生は昭和47年。当時は、現在のようにヒストリックカークラブの活動が盛んではなく、ごく自然に街ですれ違った仲間同士が自然に増え、誰となくクラブを結成した。確か、第一回のミーティングは昭和48年8月(1973年)、東京都下の調布のレストランであった。集まったコンテッサクーペは6台と記憶する。その夜全員が中央高速を流したあの感激は今でも忘れることが出来ない。さて、それから実際のクラブらしい形になったのが昭和50年。この頃になると会則も会誌も整ってきた。クラブの名称もコンテッサクーペのワンメイクであったので、PD 300(運輸省の形式登録)であった。今では、会員も百名を越えコンテッサクーペだけではなく、日野車をカバーするに至り、クラブ名も日野コンテッサクラブとなった。

第一回ミーティング:思い出の中央高速ナイトクルージング(昭和48年8月

特色は?

 走り屋でも熱狂的なカーマニアでもない。唯々“We like contessa”の連中の集まりなのだ。クラブ員の構成は、日野車ばかり、すなわちルノー、コンテッサ900/コンテッサ1300ばかり乗り継いだ大ベテラン(年齢は極秘)、コンテッサクーペの最も健在だった時代を知っているミドルエイジや、その頃まだ生まれていなかったり、やっとヨチヨチ歩きで、最近手に入れたヤングガイズと様々で、非常に幅の広い年齢層で構成されている。 クラブ自体は常に時代と共に変化しており、当初はパーソナルクラブ的であったが、今では全国的な広がりもあり、支部制を導入し常にクラブ内のコミュニケーションに力を入れている。又、クラブの運営に一人でも多くの意見を取り込むように努力している。いわば会員参加型のクラブである。

何故コンテッサを?

 何故でしょう。此の問いを証さねばならない。“We like contessa”だけではなく、皆の心の中は?それはイタリアンカロッツェリアの名門、ミケロッティのデザイン、それにフランスのルノーの血を引くシャシー、特徴的なリアエンジン、そしてこれらをまとめあげた日野自動車の先進的な技術ではないでしょうか?

クラブのミーティングは?

 4月の総会を含め、年3回。夏のミーティングは一泊のツーリングを行っている。秋のミーティングは家族サービスの行事を中心に、支部単位にプログラムしている。これらは昭和50年から続けている。年3回は少ないという声も聞かれるが、ボチボチやるのがクラブの方針であり、この辺がクラブが長続きしている理由でもある。これらのクラブミーティングに加えて、他クラブが開催するイベントにも積極的に参加している。JCCAのクラシックカーフェスティバルは当初来続けており、また、ベレットクラブ等のサーキット走行やジムカーナにも足を延ばし、他の60'Sに負けずにランニングしている。

夏の一泊ツアー:東北猪苗代(平成6年8月)

クラブへの入会は?

 唯ひたすらにコンテッサの好きな連中の集まり、そして常にファミリームード満点のコンテッサクラブへの入会は? それは簡単である。クラブ員の紹介と役員会(又は支部長)の承認が必要である。そしてそれは、コンテッサ(又はルノー)の所有の有無に関係ない。入会金並びに会費は、

  • 入会金 3,000円
  • 年会費 4,800円(400円/月)
である。

 入会後は、コンテッサのみならず数々の情報満載の“PD”誌が配布される。

 ※当クラブでは、クラブ員のボランティアにより、メンテナンスパーツを中心に欠品パーツの開発・製作を鋭意進めている。又、クラブマーク入りのカーバッジやTシャツ・トレーナー等の数々のグッヅも販売している。

 クラブ員は皆ミーティングを待ちかね、ドレスアップや改造をしたり、又は相変わらずのサビサビのままと様々であるが、話が弾み時の経つのを忘れるほどである。

 お問い合わせは日野コンテッサクラブへのお問い合わせのペイジにて。