新年ならびに会長就任のあいさつ

                    2009年1月吉日 日野コンテッサクラブ会長:鈴木陽一郎

 新年明けましておめでとうございます。

 昨年は自動車産業にとっては販売量・生産量の低下、相次ぐモータースポーツからの撤退等々暗い話題が多く、自動車の将来が不安になってしまいますね。

 しかし考えてみれば、日野コンテッサは40年以上前にメーカーさんが生産も(基本的には)アフターサービスも撤退してしまった訳で、それでもこうしてその類い稀なる魅力とそれに魅了された個人オーナー仲間達の熱意のおかげで、21世紀の現代も美しく元気に走り続けています。

 コンテッサというすばらしい自動車をこの世に送り出して下さった当時の日野自動車関係者の方々に敬意を表する(決して好き好んで志し半ばで撤退したのではなく、断腸の思いだったと察します)とともに、良い製品と個人の小さな力でもそれを愛する人々の熱意さえあれば不可能はない!ことを、これからも長い伝統あるオーナーズクラブとしてみんなで協力して愛するコンテッサを元気に走らせ続けて証明して行こうではありませんか。

 昨年10月 日野コンテッサクラブ秋の一泊ミーティングの臨時総会において、新会長にボクが推挙され就任いたしました。

 実は2年程前より、前会長他一部の方々より要請は受けていたのですが、多忙等を口実に遠慮させていただき続けていました。

 しかし、不連続の2期に渡って会長を務められ、クラブのため長年ご尽力してみえる飯田前会長からお願いいただいたことであり、他に適任と思われる方々もその専門知識等を生かしての部品係や広報係等々に多忙な中ご尽力して下さっている事実も踏まえて、今回は「子供の頃から大好きな日野コンテッサ(他日野製小型車)およびそれを愛する人々のためのことなので、ボクでもお役に立てればありがたいことだ」と受け止め、またコンテッサのことやモータースポーツ関係等々ボクと趣味・嗜好も一致して信頼をおいている若く熱意溢れるエンスージャストの加藤信之さんが「会長直結渉外担当」としてボクの力及ばない点をお手伝いいただけるということもあって、この伝統あるクラブの長という大役を受けさせていただくことと決断しました。

 ボク個人的意見ですが、昨今の自動車達は、まず市場調査ありき!で、誰でも無難に使用出来る便利な道具としての優れた製品が合理的に量産されていて使ってみての不満なんかもまずないんだと思いますが、反面その多くがその構造やスタイルに特徴が無く没個性的で、いまひとつ満足感が得られない気がしてなりません。

 それらに比較すると日野コンテッサは、もちろん欠点も少なからずありますが、設計者さん達独断?の「とにかく何としても良い自動車を造るんだ!」という周りの雑念に修飾されていない純粋な主義主張がストレートに伝わって来る清さが感じられ、魂をふきこまれた生き物のように愛しく思えてしまうのです。おそらく、コンテッサを愛し続ける同志のみなさんもその接し方に多少の個人差はあれど、大なり小なり同じような感情を抱いてみえるのではないでしょうか。

 そんな純粋にコンテッサ(日野製小型車)を愛する同志の皆様が、仲良く、楽しく、心置きなく過ごせるクラブが末永く存続することを切に願い、大好きなコンテッサ達がこれからも末永く、美しく走り続けることに、微力ながらも努力していきたいと思っておりますので、クラブ員の方々ならびに他の旧車&趣味車のクラブ等々関係者の方々も今後ともよろしくお願いいたします。


新年のあいさつ

2010年1月吉日 日野コンテッサクラブ会長:鈴木陽一郎

 あけましておめでとうございます。

 時が経つのは早いもので、ボクが子供の頃描いた未来都市の想像図によると自家用車?が空を飛んでいる(スーパージェッターの流星号!あるいはそこまで行かなくてもスパイキャッチャーJ3のコルベット・スティングレイのようなエアカーのイメージ ← おじさんにしか分かんないかな?)はずだった!?21世紀を遂に迎えてしまったなあ・・ と、思ってからもう10年の月日が経ってしまった。

 でもボクは、子供の頃大好きだったコンテッサを、この21世紀の今も大好きで喜んで乗り回している。  

 何故なんだろう?・・・

 腕時計型の通信機で呼べば無人でも飛んで迎えに来てくれる電子頭脳を持ち空も水中もどこでも行ける流星号が売り出されたら、たぶんそっちの方が良いと思うかもしれない。でも、コンテッサの後〜現代までに現れたクルマ達の中には未だコンテッサの魅力に勝るクルマが出て来ていないということかも。

 最新のクルマ達も色々と付加物の進歩や追加はあってもヒトや貨物の移動手段としての純粋・基本的な部分では、結局のところ4つ(ほとんどが)のゴムのタイアを地面に接地させて走っている訳で性能的にも大きな・決定的な差ない。それが証拠に、みなさんが常日頃乗ってみえるカーナビやETCも装備した多くのコンテッサ達は、全然問題なく現代の交通の流れに乗って走れるし、時と場合によってはもはや人車一体=コンテッサが手足の一部と化したベテランドライバーさんにとっては現代の流れがまどろっこしくさえ思え、最新のSUV等をぶち抜きながら追い越し車線を駆け抜ける諸兄も居るんじゃない(ボクだけσ(^_^)か)?。

 外から眺めても、運転してみても、他に比べようがない喜びを与えてくれるコンテッサという名車の設計製作に携わった方々の熱意・誠意が直に感じ取れ個性的で飽きることのない魅力は、この先数十年も同様に失せることはなさそうだ。

 今の時代、メインテーマはエコなのかもしれないけど、最近のクルマたちのプラスチッキーな内装等は普通に使っていても数年で小キズが多く付いたりして汚くなってしまうという良くない印象も個人的には持っている。ダメになれば部品交換(それも問題ない部分も含んだアッセンブリー)あるいはクルマごと換えちゃえば良い?・・ でも、それってエコなの??

 そもそもコンテッサが良い材料を使って丁寧に作られた高品質(over quality?)で、丈夫で長持ちすること。これって立派なエコじゃないの!? 

 みんながみんなハイブリッド車や電気自動車の新車に買い換えていくのもエコかもしれないけど、そうしてバッテリーをはじめ色々なモノをどんどん消費していく事よりも、コンテッサを大切に乗り続けることも立派なエコだと、胸を張っても良いんじゃないかなあ〜

 新年を迎えての独り言でした。

 クラブ員の方々、他の旧車・趣味車クラブの同好の士の方々、本年もよろしくお願いいたします。


新年のあいさつ

2011年1月吉日 日野コンテッサクラブ会長:鈴木陽一郎

 新年あけましておめでとうございます。

 今年は日野コンテッサ生誕50周年という大きな節目です。我が日野コンテッサクラブ員のみなさまの年齢層は幅広いので、初代コンテッサ900(PC10)がデビューした1961年にはまだこの世にカゲもカタチも存在しなかったヒトから既に大人だった人まで色々だと思います。そういう自分はどうだったかと言うと、正直既にこの世には存在していて、ちょうど物心ついて自動車に興味を持ちはじめた頃でした(モーターマガジン世界自動車特集を絵本がわりに育ったので!?)。

 当時の日本はまだモータリゼーションの夜明けで、決して裕福ではなかった我が家にはマイカーはありませんでしたが、歯科診療所を開院していて時代の先端を行っていた伯父がコンテッサ900初期モデル(ヒゲが斜めのヤツ)新車を買い乗っていて憧れの的でした。

 そんな幼少の頃のある週末、当時住んでいた三重県からオヤジ・オフクロの実家のあった愛知県の現在も住んでいる地に近鉄→名鉄と電車を乗り継いで来たのですが、ボクが途中名古屋のデパートに立ち寄って食べたモノにあたってしまったのか夜になって発熱、嘔吐、腹痛等伴う急性感染性胃腸炎(たぶん)に罹患してしまいました。翌日には帰らなければならなかったのですが、そんな体調では電車乗り継いで帰るのはたいへんだろうと、オヤジが頼んでくれてその実家の隣町に住む伯父がなんと!憧れのコンテッサ900に我々家族を乗せて100・くらい離れた我が家まで送って下さったのです。ところがその時病気だった(はずの?)ボクは、そのコンテサでのドライブがうれしくて熱も症状も吹っ飛んでしまい?元気いっぱいハシャギまくって、伯父に無理を言って頼んだオヤジは気まずい思いをしたというのがこの話のオチです。(この時自家用車のありがたみを実感した我が家もまもなくして中古オンボロ日野ルノーを手に入れ待望のカーライフが始まりました。)

 医学的にも楽しいことをしていると脳から指令が出てリンパ球の一種であるNK(ナチュラルキラー)細胞の機能が強化され免疫力が高まると言われていますが、ボクの身体はこのメカニズムが特に発達している?らしく、どうやらこの体質?は今も変わらないようです。コンテッサに乗る楽しみは、どんなクスリにも勝る妙薬なのかもしれません。

 みなさんもこれからも末永くコンテッサライフを楽しみながら、人車共に健康を維持していきましょう。


ー 今年は良い年になりますように ー

                20121月吉日 日野コンテッサクラブ会長:鈴木陽一郎

 昨2011年は、地球レベルでたいへんな年でしたね。

 地球上の生物群の頂点に立つ(と思い込んでいる?)我々ヒトも、大自然の驚異の前では無力で、みんなが助け合って仲良く生きていくべく生物仲間の1種に過ぎなく「おごることなかれ」ということを思い知らされました。

 6550万年前、当時頂点に君臨した恐竜達の絶滅も遠い過去の他人事ではないのでは? 恐竜類の中で最も知能が高かったといわれるトロオドンがそのまま進化し続けていたら哺乳類である現世の我々ヒトよりもっと進化した恐竜人間(Dinosauroid)がこの惑星を支配している可能性もあったのです。隕石の衝突など宇宙レベルまで拡大すれば災いは何時何が起こるか分からないのかも。


 またボク個人レベルでも2011年は、年末128日になって父が亡くなるという悲しい出来事がありました。享年87。日野自動車乗用車部門が活気にあふれ元気であった時代に日野ルノーコンテッサ900→1300と乗り継いだという、父のこの正しい!自動車選びがその後のボクの人生に多大な影響を及ぼしました。

(↑1966年夏 我が家にコンテッサ1300DX新車が納車され、900Std.が下取られていく日に撮った写真)

 今年は良い年になりますように。
 クラブ員のみなさま コンテッサ(日野製小型車)共々元気に走り続けましょう。


新年のあいさつ  

               20131月吉日 日野コンテッサクラブ会長:鈴木陽一郎

 冒頭から個人的なあまり良くない話で恐縮ですが、一昨年の新年あいさつ文で話題に上げた1960年代初頭に時代の先端を行っていてデビュー間もないコンテッサ900をマイカーに持ち幼いボクを乗せて喜ばせてくれ、その後のボクの現在まで続く自動車・とりわけ日野車大好き自動車趣味人生に多大な影響を与えてくれた伯父も昨年 仲の良かった弟=父の後を追うように亡くなりました。人生には限りがあり、時代は変遷していくことを痛感している今日この頃です。

 そんな中、ボクは昨年より、なんと!日野ルノーに乗りはじめました。
 父が最初に手に入れた我が家のマイカー第1号が、中古オンボロ日野ルノーだったのですが、小学校低学年の時に当時の我が家前の小学校校庭で助手席の父の指導(介助?)の元 少しだけ運転した!?(大きな声では言えませんが・・ おおらかな時代だったということで^^;; )のがメチャうれしく、早くオトナになって颯爽といろんなところをドライブする姿を夢みました↓

フォト

 昨年復活したボクのルノーは、当時の個体とは別モノではありますが、’60年代にあのカロッツェリア・ワタナベさんにより同じ日野製の進化バージョン=コンテッサ900Sのメカニズムをハイブリッドさせた的確なチューニングを施されていることもあって、現代の交通の流れの中でも何の問題もなく、小気味好く走ります。昨秋 クルマ趣味仲間のミーティング参加のための我が家(愛知県)から京都への日帰りドライブもポータブルカーナビやETCも装備して快調にこなしました。

 ボクが思うに・・我が家のマイカー夜明け時代=日野ルノーやコンテッサ900で日帰りドライブした行動範囲は、道路も自動車も進化した(はずの)現代になってもあまり変わってない気がします。整備された高速道路網が延びても、交通量の増加による渋滞などの問題も多々発生する交通事情下では多少優れた高速性能を以てしてもそれを発揮する機会も少ないし、自動車の性能そのものもオートマチックトランスミッションが普及したり、窓ガラスやサイドミラーが電気を介したスイッチで動くようになったり、多少便利な付加物が増えたりはしたものの(安全や公害対策面での進歩は有意義とは思うも)、結局のところ空を飛ぶことも水中に潜ることもできないわけだし。

 移動のための道具としての不具合なんてなくてあたりまえの昨今の自動車の大半は、生産性向上のためにはいたしかたないのかもしれませんが無難にできている反面没個性的で、運転しても眺めてもうれしいと思える度合いが少ないとボクには思えてしまいます。
 我らが日野ルノーやコンテッサは、ただ運転してるだけでうれしくてしょうがなくて未だ飽きることもありません(ボク個人的には・・だけど!?)。結局現代の交通事情の中での移動の道具としての性能に大差ないのだったら、運転している時も眺めている時もうれしい方が良いじゃないですか!
 ボクは、これからもまだまだ日野ルノーとコンテッサに乗り続ける!と思います。

 もうひとつ、今回記しておきたいことがあります。
 前述のボクがはじめて日野ルノーのステアリングを握った!?のとほぼ時を同じくして我が国初の本格的レーシングコースといえる鈴鹿サーキットができたのですが、その頃住んでいたのが運良く(悪く?)その鈴鹿のほぼ隣町といえる三重県菰野町というところでした(上の写真グッド(上向き矢印)旧い白黒シーンは実は菰野小学校校庭!)。 鈴鹿サーキットには遊園地が併設されていることもあって、その黎明期にボクは父の運転するルノーやその後買い換えたコンテッサ900で何度も連れて行ってもらっており、その時眼にしたレーシング仕様のルノーやコンテッサの勇姿がアタマにこびりついて、その後ろくに進化もせず半世紀経ってしまったのかもしれません!?
 時が経って・・ 4輪運転免許証を取って間もなくラリー・ダートトライアルからモータースポーツの世界にも入っていたボクは、その後30歳にして鈴鹿シルバーカップレースでデビューし、あくまでアマチュアの範疇ながら自らも長年鈴鹿サーキットを走ってきました。とりわけ、伝統の鈴鹿1000km耐久レースへは5回挑戦し、4回完走、3回トップ10フィニッシュうち2回クラス優勝(ともに総合7位)という金字塔!?を立てている↓
フォトフォト
ことは、時間も費用も限られるアマチュアとしてはチョッと自慢!??(もちろん一緒に組んだドライバー、メカニックみんなの力です)であり、幼少期に観たシーンとともに大切な思い出となっています。
 そんなボクにとっては並々ならぬ思い入れのある鈴鹿サーキットも昨年50周年を迎えたのですが、それを記念して昨秋開催された「鈴鹿サーキット50周年アニバーサリーデー」というイベントにボクも協力させていただくという光栄な機会に恵まれました。復活なった日野ルノー(PA)を操り、山河会員のコンテッサ900 PC) レーシング、信頼おくモータースポーツ仲間後輩にステアリングを託したボクのコンテッサ1300PD)クーペLとともに日野製ツーリングカー3台揃って「華麗なる'60年代自動車レース」と題したパレードで編隊走行を披露しそのすばらしさをアピール!しました


 日野ルノーで鈴鹿サーキットの檜舞台を走る! あれから半世紀が経って、正に幼少期の夢が叶ったのです。
 今年のあいさつは(も?)全く個人的な話ばかりで恐縮でしたが、クラブ員の方々、他の旧車・趣味車クラブの同好の士の方々、本年もよろしくお願いいたします。


新年のあいさつ

2014年1月吉日  日野コンテッサクラブ会長:鈴木陽一郎

新年おめでとうございます。

 今年はいよいよ多くのクラブ員のみなさんの愛車であって日野自動車製乗用車の最終進化型といえるコンテッサ1300(PD100)の生誕50周年ですね。盛大にお祝いしたいものです。

 ボク個人的には、日野コンテッサ(と日野ルノー)を子供の頃からずっと大好きで、オヤジが初めて買った中古オンボロ日野ルノーが我が家のマイカー第1号になって以来、その後乗り継いだコンテッサ900STD→1300DXと我が家のマイカー(当時はもちろん唯一の)としてコンテッサのあった少年時代 と 自ら運転もする様になって何年か経ち自分の稼ぎにも多少の 余裕があるようになった'83年にコンテックラブに入れていただくと同時に再び手に入れた憧れの1300クーペ→そして現在所有の 1300クーペL に至るまでのコンテッサ(含 日野ルノー)と共に 過ごしている人生の年月を積算すると、およそ38年↑=ボクの今までの人生のおよそ2/3↑(歳がバレちゃうけど)をコンテッサ(含 日野ルノー)と共に過ごしていることになり、今後の人生も 共にする気持ちはおそらく揺るぐことはないので、このコンテッサ率!は増加していく予定だ。

 しかし実は、この程度では自慢?にならないのかも。我がコンテッサクラブには、お母さんのお腹の中にいた頃より現在までコンテッサに乗り続けている(つまりコンテッサ率100%!)2世会員もおそらく複数名存在するのだから・・。

 わずか2世代・実質製造6年間の短命に終わったクルマなのに、みなさんのその溺愛振りには我ながら呆れる。

 2008年末の会長就任以来過去5回の新年あいさつ文でコンテッサに対する思いもとりあえず書き尽くした?感もあり、今回これ以上浮かんでこないので、そのボクの人生中の日野コンテッサの歴史を物語る写真を追加添付することで、「新年のあいさつ および コンテッサ1300生誕50周年のお祝い」とさせていただきます。

 クラブ員および他の旧車・趣味車クラブの同好の士のみなさま、本年もよろしくお願いいたします。

                                        

過去のご挨拶